盛岡市は第二次世界大戦時の空襲による被害が比較的小さかった都市であるため古くからの狭い道路が多かったが、路線バスが会社ごとに発着所を開設していたことで次第に交通渋滞が悪化し、市民からの苦情も増えるようになった。 そこで、バス会社共通のバスターミナルを建設することになり、1959(昭和34)年5月に盛岡市やバス会社、地元商店街が出資し株式会社盛岡バスセンターを設立した。しかし、当時としては画期的な交通センターの存在は集客面で大きな恩恵を及ぼすため、古くからある「肴町商店街(現:ホットライン肴町)」と、戦後急速に発展した「大通商店街」との間で設置場所を巡る対立が起きた。そこで盛岡市は事態収拾に乗り出し、学識経験者を加えたバスターミナル建設促進委員会が審議を行い、建設地を現在地である中ノ橋通に決定。翌1960(昭和35)年4月に利用が開始された。建物内には洋品店や大食堂、喫茶店、甘味店、中華料理店、理髪店などがあり、また屋上には「盛岡バスセンターテーマパーク」という植物園・遊園地があってデパートのような趣きであった。また、開業当初は1階は窓口と開放感のある広大な待合所で構成され、売店類は2階に集約されていた。 敷地は3,000m²で開設当時は十分な広さだったが、バス路線・運行本数の増加、バスの大型化が進み、次第に狭さが際立つようになった。現在ではバスセンター構内で発着できない便が多数発生しており、「盛岡バスセンター」名義で設置された周辺のバス停が発着地点の機能を担っている。 2012年3月から経営権が岩手県交通から国際興業へ移行した。 また、バスセンターそのものも、長年の使用で建物の老朽化が叫ばれており、現行の建築基準法の耐震基準を満たしていないことから、2008年には市が再開発計画を発表。バスセンターを核とした複合施設に建て替えられる見通しであったが、経済情勢の悪化や東日本大震災後の建設資材高騰の影響により、建て替えの目途は立たず、2016年3月14日に盛岡バスセンターはバスターミナル事業から撤退して施設は2016年9月30日で閉鎖、年内に取り壊されることが発表された。法人としての盛岡バスセンターの運営廃止予定は未定。 バスセンター内のレトロチックな味わいを残す雰囲気はたびたび地元メディアで取り上げられ、老若男女問わず人気は根強く「昭和レトロ」の観光資源として注目されていた。 (Wikipediaより) |
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盛岡バスセンター外観(1) |
盛岡バスセンター外観(2) |
盛岡バスセンター外観(3) |
バス乗り場(1) |
バス乗り場(2) |
バス乗り場(3) |
バス乗り場(4) |
バス乗り場(5) |
バス乗り場(6) 乗り場は頭端式プラットホームで全国的にも珍しいものでした。 |
バス乗り場(7) |
バス乗り場(8) |
バス乗り場(9) |
盛岡バスセンター内(1) |
盛岡バスセンター内(2) 天井にある扇風機もかなりの年代物。 |
盛岡バスセンター内(3) |
盛岡バスセンター内(4) 券売所。上にある運行路線図も手書きの看板。 |
盛岡バスセンター内(5) |
盛岡バスセンター内(6) |
盛岡バスセンター内(7) |
盛岡バスセンター内(8) このそば屋さんはバスセンター閉鎖の9月30日まで営業するとのことでした。 |
盛岡バスセンター内(9) |
盛岡バスセンター内(10) |
盛岡バスセンター内(11) |
盛岡バスセンター内(12) |
盛岡バスセンター内(13) |
盛岡バスセンター内(14) |
盛岡バスセンター内(15) |